2017/08/15

石原裕次郎さん そして亡き母に捧げます

 去る8月10日 午前10時20分
 私の母が永遠の眠りにつきました

今回は生前に母が愛してやまなかった石原裕次郎さん
そして私事の画で誠に恐縮でございますが
生前の若い頃の母の画も一緒に描かせていただきました

石原裕次郎さん 1934年12月28日 ~ 1987年7月17日(52歳)
石原裕次郎さんの鉛筆画似顔絵

石原裕次郎さんの鉛筆画似顔絵途中経過 石原裕次郎さんの鉛筆画似顔絵途中経過


石原裕次郎さんの命日が一ヶ月前で
早いものであれから30年の年月が過ぎました

裕次郎さんは晩年は病に苦しみ
成功率3%という難手術を乗り越えられ 一時は見事に復活し
病院の屋上から笑顔で元気に手を振る裕次郎さんの姿を見た時は
”さすがタフガイ裕ちゃん!”と私も感動したことを憶えています
残念ながらその数年後には帰らぬ人となってしまいましたが

戦後の日本に元気を与え
日本国民に最も愛され
昭和が生んだ大スターの記憶は永遠のものです


今回描きました母の画はおそらく石原裕次郎さんがデビューした頃です
(1955年頃だと思います)
この頃の母はまだ独身で
選んだ母の表情も裕次郎さんがデビュー当時の人気絶頂期の頃と
若き日の母を重ねた感じです
石原裕次郎さんと私の母、鉛筆画似顔絵

石原裕次郎さんと私の母鉛筆画似顔絵途中経過 石原裕次郎さんと私の母鉛筆画似顔絵途中経過
 石原裕次郎さんと私の母鉛筆画似顔絵途中経過

今回お見せする母の写真はカメラ好きだった私の父が撮ったものです
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👇こちらは私が3、4歳の頃でしょうか^_^;
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母は私とは性格はまったく逆で、社交的で、お酒も好きで
この写真を撮った頃は ミス水沢(現在の岩手県奥州市)に雰囲気や顔がよく似ていたため
よく本人と間違われていたとか・・・と
あくまで母本人から聞かされた話です 話も少し盛っていたかもしれませんが(笑)

最後にお見せする石原裕次郎さんの二枚目の画は
去年の9月に一度アップしたものです

石原裕次郎さんの鉛筆画似顔絵

母はここ数年はずっと寝たきりの状態でしたが
この裕次郎さんの画は約一年間
母のベッドの手元にありました

今 思い返せば母がもっと元気なうちに
多くの画を描いてあげたかったという後悔があります

母を亡くした哀しみを引きずるより
今回、石原裕次郎さんと母の画を描きながら強く思ったことがあります

母は先に旅立ってしまった世界のどこかで
今ごろはきっと裕ちゃんと一緒に
ゆっくりとお酒を酌み交わしていると



2017/08/06

カトパン、クジパン そして・・・

ここ最近は笑顔の表情がほとんど影をひそめてしまった”Jinのどろーいんぐ”ですが
そんな暗くなりつつある私の画をなんとか打破しようと
今回は笑顔が素敵なフジテレビの新旧女性看板アナウンサーを描きました
(最後にチョッとオマケがあります^_-)-☆

まずは今年入社したばかりの美人アナ
クジパンこと久慈 暁子さんです
フジテレビアナ久慈 暁子の鉛筆画似顔絵

フジテレビアナ久慈 暁子の鉛筆画似顔絵途中経過 フジテレビアナ久慈 暁子の鉛筆画似顔絵途中経過
フジテレビアナ久慈 暁子の鉛筆画似顔絵途中経過 フジテレビアナ久慈 暁子の鉛筆画似顔絵途中経過

久慈 暁子さんは見ての通りの超美人でフジテレビ入社前の経歴も凄いです
雑誌non-no専属 モデル、旭化成グループキャンペーンモデルにも選ばれています

彼女は大学入学(青山学院大学)のため上京した日に
渋谷で複数の芸能事務所にスカウトされてしばらく歩けなかったという逸話の持ち主で
その後も大学のある渋谷への通学も苦労したそうです

今回久慈 暁子さんを描いたのは出身が私と同郷(岩手県奥州市)だったこともあります
実は私も久慈さんは数年前からその存在は知ってました
「ハレル・ウィリアムスHappy」の奥州市バージョンでまだ初々しい彼女が出ています
(PVの冒頭、中盤、後半と複数回出てきます)


私もこのPVを初めて見た時は こ、このコは誰?
こんなカワイイ娘が奥州市にいるわけがないと思ってましたが
出身高校も奥州市の水沢高校だと知り驚いた記憶があります
ちなみに同じ奥州市出身で久慈さんとは同学年であるプロ野球日本ハムの大谷翔平選手がいます
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久慈 暁子さんは今年の春に入社後なんと三ヶ月で冠番組『 クジパン』のMCに起用されています
先輩である加藤綾子さんがフリーとなった今”ポストカトパン”と言われていますが
低迷しているフジテレビの救世主になれるか期待したいですね

なんでも久慈 暁子さんはフジテレビ入社のかなり前から内定をもらっていたとか
やはり人は見た目が100%なのかと思ったりしました^_^;


次はフジテレビの看板女子アナといえばこの方
カトパンこと加藤綾子さんです
加藤綾子の鉛筆画似顔絵

加藤綾子の鉛筆画似顔絵途中経過 加藤綾子の鉛筆画似顔絵途中経過
加藤綾子の鉛筆画似顔絵途中経過

加藤綾子さんは最近フリーになられて
CMや他局の番組での出演機会も多くなり活躍の場が増えたことは嬉しい限りです

加藤綾子さんはキャリアも豊富で長く好感度アナのトップを走ってきた方なので
あえてここでは長々と紹介は控えます

こちらは「めざましテレビ」収録時の御二人のツーショットです
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加藤綾子さんは以前に描いた未公開の画がもう一枚
2016年6月頃の作品です
加藤綾子の鉛筆画似顔絵

アップに耐えられるような画ではありませんが^_^;
今回も髪中心に全体的に濃く修正しています


そして・・・今回美人アナ御二人を描きましたが
最後に久慈 暁子さんと同じ岩手県出身で活躍している
アナウンサーではありませんがご当地アイドル?を紹介します

ふじポンこと藤井 香子(ふじい こうこ)さん
岩手のアイドルふじポンこと藤井 香子の鉛筆画似顔絵

岩手のアイドルふじポンこと藤井 香子の鉛筆画似顔絵途中経過 岩手のアイドルふじポンこと藤井 香子の鉛筆画似顔絵途中経過

ローカルのネタ画ですみません^_^;
このブログをご覧になる方は彼女を見るのが初めてかと思います
ご当地アイドルと紹介しましたが年齢的には(失礼^_^;)岩手のマルチタレントという感じです
1ふじポン

もちろん先のカトパン、クジパンとはタイプがまったく違う”ふじポン”ですが
画の感じでもお分かりのとおりで
天然で明るくぶっちゃけたキャラクターでいつも元気をいただいております^_-)-☆


2017/08/03

菅田将暉さん 生き返りました!

意味深な記事タイトルでした

今回の菅田将暉さん、いつもの私のペースで二枚の画をアップするつもりでしたが
実は没にしようと決めていた画に何とか蘇生を試みました
完全に蘇えったとはいきませんでしたが
先日の途中経過でお見せしたものにその画が新たに1枚加わっています(三枚目の画です)

菅田将暉の鉛筆画似顔絵

菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過 菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過
菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過 菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過

菅田将暉さん、最近ではテレビ中心にシフトする俳優、タレントさんが多い中で
彼は劇場用映画に多く出演されています
昭和の映画最盛期の青春映画スター顔負けの2016年はなんと9本も出演されています
今年もこれから「火花」など話題作が待機中で公開が楽しみです

菅田将暉の鉛筆画似顔絵

菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過 菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過
菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過

画を描いていると 途中段階で
こ、こんなはずでは・・・
そんな状況に陥ることがあります
👇この三枚目の画も菅田さんのイメージがなかなかつかめませんでした

菅田将暉の鉛筆画似顔絵

菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過 菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過


正直な話、今までは何枚もの多くの画を没にしてきた経緯がありますが
これからは簡単に諦めずに描いていこうと思います

二枚目の菅田将暉さんの寂しそうな表情が
もう一枚の画の自分をどうか抹殺しないで”と訴えているような気がしてきまして・・・
と、私の自分勝手な妄想でした^_^;


 
2017/07/31

菅田将暉さん 途中経過です

以前より私の周りでリクエストが多かった菅田将暉さんです
彼の場合はこれまでの経過で輪郭をうまく掴めず四苦八苦しています

菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過

また暗い表情を・・・
ファンの方からお叱りを受けそうですが
ここまで描いたら最後まで気を抜かずに頑張りましょう!Jinさん!

菅田将暉の鉛筆画似顔絵途中経過
2017/07/29

夢は夜ひらく 藤圭子さんと宇多田ヒカルさん

前回 ”夜の蝶” のイメージで武井咲さんを描いた時に
私の脳裏に時々よぎってきた曲と歌手がいました

今回は今から48年も前に
夜の世界に生きる女の感情と生きざまを歌って一世を風靡した藤圭子さん
そしてその藤圭子さんの愛娘であり
そのたぐいまれな音楽的才能で
デビュー当時はその存在が「社会現象」にもなった宇多田ヒカルさんです

藤圭子さん (1951~2013)
藤圭子さん鉛筆画似顔絵

藤圭子さん鉛筆画似顔絵途中経過 藤圭子さん鉛筆画似顔絵途中経過
藤圭子さん鉛筆画似顔絵途中経過 藤圭子さん鉛筆画似顔絵途中経過
藤圭子さんは1969年9月に「新宿の女」でデビュー
可愛らしい顔からは想像もできない独特のドスの効いたハスキーボイスで
その暗く陰鬱な歌詞の内容から当時は
演歌ならぬ”怨歌”の歌姫とも呼ばれていました

この記事のタイトルにもなっている「夢は夜ひらく」は
藤圭子さんの3枚目のシングル「圭子の夢は夜ひらく」からです
この楽曲は多くの歌手の方が詩も変えて歌っていますが
藤圭子さんのこのバージョンは それは情念深く心に響くものでした
その歌詞の一部で

十五、十六、十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく

このフレーズを聴いた当時の私は
これから訪れる十五、十六、十七歳の自分は
この歌詞のようにやはり暗い日々を送るのかと
しばし不安に思い悩んだことを憶えています^_^;
それだけこの藤圭子さんの歌声は深く聞く人の心に沁み込むものでした




藤圭子さんがデビューして30年後に また一つの時代の寵児が誕生しました
愛娘である宇多田ヒカルさんです
宇多田ヒカル鉛筆画似顔絵

宇多田ヒカル鉛筆画似顔絵途中経過 宇多田ヒカル鉛筆画似顔絵途中経過
宇多田ヒカル鉛筆画似顔絵途中経過 宇多田ヒカル鉛筆画似顔絵途中経過

宇多田ヒカルさんのデビュー当時は
今までにない斬新なメロディーラインとスタイルで
日本の音楽シーンに衝撃を与えたことはもちろん
まず私が驚いたのは藤圭子さんの娘さんだったということです

女の情熱を胸に迫るように歌っていた藤圭子さんから
宇多田さんのあのような新しい感性を持つ才能がいかにして生まれたのか
ニューヨークで生まれ育った環境はもちろんですが
やはり母である藤圭子さんの持っていた内なる共通する才能が
宇多田さんには生まれながらにして持ち合わせていたかもしれません

話をまた藤圭子さんに戻しますが
藤圭子さんのレコードセールスは当時の資料から
「新宿の女」ではシングルチャート20週連続1位
セカンドシングル「女のブルース」では前人未踏の42週連続1位という
今では考えられないセールスです
そういえば宇多田ヒカルさんも デビューアルバム「First Love」は
累計売上枚数765万枚と日本国内のアルバムセールス歴代1位という記録を持っています
母娘揃ってのデビュー当時の凄さは世界でも稀かもしれません


最後に東新宿にある西向天神社には「新宿の女」の歌碑があります
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藤圭子さんと作詞した石坂まさお氏はこの曲の発売当時に
新宿中のレコード店や飲食店を24時間かけて巡るキャンペーンを行いました
同神社はこのキャンペーンの出陣式を行った記念の地だそうです